留学生活 2017年10月

セントマリー・ド・ラ・メール、カマラグ、エグ・モルト
[2017/10/29]

従者サラの像

セントマリー・ド・ラ・メール、カマラグに行き、フランスに来て初めて「地中海」を見ました。 セントマリー・ド・ラ・メールは人口が2500人の小さな町。 紀元40年、イエスの死後、エルサレムを出発した聖母マリアの妹のマリア・ヤコベ、12使徒のヤコブ、ヨハネ兄弟の母マリア・サロメ、マグダラのマリアが上陸した港があります。 マグダラのマリアは聖母マリアの礼拝堂を立てた後、伝道のためにフランス各地に出発しました。 2人のマリアとサラがこの地にとどまったので崇拝の対象となり、巡礼地となりました。 教会には「聖マリアたち」の遺品が納められいます。 サラは黒人という言い伝えがあるので、ロマ(ジプシー)たちの信仰を集めています。 地下に従者サラの像がありましたすが、周辺に飾られた供物は普通のキリスト教会とは違った感じがします。 聖遺物は高い場所に飾られているので身近で見られないので残念です。 教会の屋根に登って地中海を見ると、この浜辺にマリアたちが流れ着いたのだなと思いを巡らせることができます。


教会の屋根に登って眺める地中海

教会内部

聖遺物


カマラグは川と地中海が交わる広大な三角州、デルタ地帯で、野生の馬、水牛、フラミンゴの生息地。 フランスでは珍しい水田稲作を行い、ペール・ド・セル(塩の真珠)と呼ばれる天日塩を生産しています。 この日はセントマリー・ド・ラ・メールでレンタサイクルをして海辺を廻りました。 カマルグは見渡す限り湿地帯で、砂漠の中を延々と自転車をこいでいる感じがしますリング専用のコースですが、悪路にはまって転倒、膝をすりむいてしまいました。 道も簡単に舗装されたデコボコ道、ハイキングの方が好かったかなと後悔しています。 やっぱり人間は歩く速さで景色や空気を楽しんだ方が良いですね。

エグ・モルトはカマラグにあるルイ9世によって建設された城塞都市。 1248年、1270年の2度、この町から十字軍の大艦隊がエルサレムに向かって出発しました。 その後、川の堆積物によって陸地化し、町は港としての役目を終えます。 中世の城塞がそのまま保存され、街を歩くと中世十字軍の世界に浸ることができます。 プロヴァンスは古代ローマや中世の歴史が体感できるから面白いですね。


カマラグ

カマラグの湿地帯

エグ・モルト 城塞都市

ノートルダム・デ・サブロン教会

ユゼス
[2017/10/22]

ユゼスの街並み

アヴィニョンに来て6週間が経ち、言葉や生活にも慣れ、語学学校の同級生とは別にフランス人の友人もできました。 生活に慣れてくると、フランス社会を冷静に見ることができるようになります。そこで感じたのが、フランスはいまだに階級社会だということ。 町にあるレストランやブティックは階級ごとの店に分かれています。 また、フランスには貧困層のアラブ人がいてコミニティを作っているのですが、その中でもフランス語ができない人等が過激なテロを企てるのだと思います。 私も当初、フランス語でコミニケーションが取れなかった時は、相当ストレスがたまりました。 移民の国では、コミニケーションの遮断が社会不安の原因になっているのでしょう。

先週、ユゼスに行きました。ユゼスはアヴィニョンの西、30キロにある「フランスで最も美しい街並み」と評された町です。 路地や石畳、家屋や窓枠など普通の街並みが本当に可愛い。 歩いているだけで、その魅力が実感できます。 町には「オーゼルブ広場」、「ユゼス公爵邸」、「サン・テオドリ大聖堂」など見所があります。 特に各時代に創建された3つの塔を持つ公爵邸は見ごたえがあります。 ユゼスは近世ユグノー派で、現在もユゼス侯爵家は続いており、現役の当主は今はパリに住んでいるそうです。 外装は城ですが、中は装飾的。フランス人貴族の生活の一端を垣間見ることができます。 日本でも経済格差が広がっているようですが、それに気づかない日本人も多いようです。 呑気ですね。
ユゼス郊外には「ユールの泉」があります。 ここからポン・ドュ・ガールを通って、ニームに水が運ばれていたと思うと感慨深い。


サン・テオドリ大聖堂

ユールの泉

ユゼス公爵邸

ユゼス公爵邸内部

リュベロン(フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズ、セナンク修道院、ゴルド、ルシオン、ボニュー)、タラスコン
[2017/10/15]

ゴルド

語学学校の第1回目の試験(読解と作文)がありました。結果は上々。 入学した頃は文章を読むこと自体に抵抗があり、必要な書類もどうやって書いていいのかさっぱりわかりませんでしたが、 1カ月経つと理解できない部分があっても、簡単な文章を億劫がらずに読めたり、易しい説明文くらいなら書けるようになりました。 ちょっとうれしい。これからもフランス語、頑張ろうと思います。

フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズ

先週は、フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズ、セナンク修道院、ゴルド、ルシオン、ボニューなど、「リュベロン」と呼ばれているプロヴァンスの美しい村を観光局のツアーで廻りました。 リュベロンは、イギリス人エッセイスト・ピーター・メイルの「プロヴァンスの12か月」で一躍、有名になったカントリーサイドで、彼が住んでいたメネルブもリュベロン地方にあります。 ゴルドはリドリー・スコットの映画「プロヴァンスの贈り物」の舞台で、フランスの「美しい村」にも選ばれています。 ルシオンは顔料の原料オークルの丘の上に築かれた村で、全体が独特の色をしています。オークル採掘場跡は緑と赤いオークルのコントラストが美しい散歩道でした。フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズでは「ヴォークルーズの泉」の名前の通り、青く澄んだ源泉を見ることができます。 プロヴァンスでは水が貴重なので、泉や川は尊いものに感じられます。 リュベロン地方はのんびりしているので、山羊を連れたおじさんに遭遇しそうな雰囲気があり、世界遺産のある観光地とは違う魅力があります。 古代ローマやロマネスク遺跡などの歴史遺物に触れた後、このような村を廻ると癒されます。 アップした写真を見ると、素朴な中に美しさがあるのがわかるはずです。 たまには自然の中でリラックスするのも良いですね。

タラスコンは15世紀のタラスコン城(ルネ王の城)が残っている中世の町。 城の向かいの「サント・マルタ教会」には、怪物タラスクを退治した聖マルタの墓所があります。 聖マルタは紀元48年、セント・マリー・ド・ラメールから、この地に来てタラスクを退治しました。 ちなみにニーム人は、ワニ好きなのですが、もしかしたら怪物タラスクはワニを指す古代語かもしれません。 聖マルタは先住のニーム人を攻撃したのでしょうか。 フランスの教会に行くと聖人の墓や聖遺物だらけなので、救いや奇跡を求める人がいかに多いかがわかります。


ジュリアン橋

ルシヨン

ボニュー

オークル採掘場跡

フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズ

タラスコン城

ヴェゾン・ラ・ロメーヌ、サンレミ・ド・プロヴァンス「グラヌム遺跡」
[2017/10/08]

ヴェゾン・ラ・ロメーヌ

9月はプロヴァンスにある古代ローマ遺跡とロマネスク遺跡の世界遺産を廻りました。 これは日本を出発する前に想定していなかったことです。 1か月間、遺跡を廻って感じたのは、歴史時間には重層性があること。 南フランスの町は古代、中世、近世、現代が混在しています。 このような感覚は耐久建築物の少ない日本では味わうことができません。 先週、最後にヴェゾン・ラ・ロメーヌ、サンレミ・ド・プロヴァンス、アルルに行き、古代の遺跡巡りは終了しました。
ヴィゾン・ラ・ロメーヌは「フランスのポンペイ」と呼ばれるオランジュの北東20キロ、古代ローマ遺跡の町。 西が古代ローマ遺跡の町、ウヴェズ川を挟んだ東側が中世の町で、後世の改築が入っていない旧ノートルダム・ド・ナザレス大聖堂(7世紀創建)もあります。 この町の人は遺跡の中で暮らしている感じ。丘の上から見たヴィゾン・ラ・ロメーヌやプロヴァンスの風景は美しかったですね。

中世の街


ヴィゾン・ラ・ロメーヌ 古代遺跡

旧ノートルダム・ド・ナザレス大聖堂

ローマ橋


サンレミ・ド・プロヴァンスの「グラヌム遺跡」は思ったよりも広く、街がそのまま残っている感じがします。 ポンペイは観光客が多く、入場制限地区がありますが、ここは自由に歩くことができます。 3世紀、ゲルマン人によって破壊され、近代になるまでほとんどが地中に埋まっていました。 そのせいか発掘した時の保存状態が良く、大理石の表面に顔料の色や文字が残っています。 現在も発掘作業は続けられているとのことです。この町の中心には神社の御神体(例えば鹿島神宮の池のような感じ)のような「聖なる泉」があり、現在でも水が湧き出ています。 それを見て、ローマ人が神々を信仰していたことを思い出しました。 サンレミ・ド・プロヴァンスにはグラヌム遺跡の他、ゴッホが入院していた「サン・ポール・ド・モーゾール修道院」、「預言者ノストラダムスの生家」、「サド家の館」があります。 小さな町ですが見所がいっぱい、1日かけてゆっくり回りました。


グラヌム遺跡

聖なる泉     ニンフの神殿

預言者ノストラダムスの生家

 サド家の館

 サン・ポール・ド・モーゾール修道院

レ・ボー・ド・プロヴァンス、フォンヴィエイユ、アルル
[2017/10/01]

レ・ボー・ド・プロヴァンス城塞跡

アヴィニョンに来て一か月が経過しました。フランス語の学習は思った以上に難しく、ストレスがたまります。 無理しても仕方がないので、自然体で生活しようと思うようになって気分が楽になりました。 ところで、フランスでは毎週、マニフェスト(ストライキ)をやっているので、鉄道やバスが動かず交通が麻痺(そのせいで学校も1日休みになった)しています。 日本では考えられないことです。 先週はレ・ボー・ド・プロヴァンス、フォンヴィエイユ、モンマジュール、アルルに行ったのですが、バスが動いていなかったので歩いて、2日間で20キロの道のりを歩きました。 自然の中を歩くと意外な風景に出合うことができて、逆に面白かったですね。
レ・ボーはかつて難攻不落と言われたレ・ボー一族の城塞跡。 ルイ13世の宰相リシュリューに攻撃され、城塞は徹底的に破壊され、現在は廃墟となっています。 プロヴァンス有数の絶景スポットで、城塞跡の岩山に登ってとオリーブ畑が広がる大地を遠方まで見渡すと、プロヴァンスの広大さを感じることができます。 石切り場が「光の美術館」になっていて70台のプロジャクターを使ったショーをやっていました。 石切り場自体が現代美術のような場所。1959年、ジャンコクトーは「オルフェの遺言」をここで撮影しました。

ドーデの風車


レ・ボー・ド・プロヴァンスから見た風景

アルルの風景

モンマジュール


翌日、アルルから歩いてフォンヴィエイユとモンマジュール修道院跡に行きました。 プロヴァンスを代表する小説家アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」に登場する「ドーデの風車」のある町、モンマジュール修道院跡は岩山上にあるレ・ボーのような迫力のある修道院跡です。 この風景に魅せられたゴッホは油絵とデッサンを残しています。
日曜日はプロヴァンスを代表する世界遺産の町アルルへ。人口が5万人の町ですが、文化遺産が町中に点在しています。 今回は古代ローマ遺跡、ロマネスク様式のサン・トロフィーユ教会などの旧跡を回りました。 その中でもサン・トロフィーユ教会と回廊のロマネスク建築は素晴らしかった。この感動は「美術・音楽」欄にアップしています。 それから古代フォーロム(長さ89m、幅59m地下公共集会場)と地下回廊が面白かったですね。 アルルの地下にこのような強大な地下空間を作ったのは不思議な感じがします。 かつて、アルルは19の教会や礼拝堂があるヨーロッパでも有数の墓地(アリスカン)でした。 その一部が現在でも残っています。 その端にあるサントラノ教会は廃墟ですが美しい建物。これらの遺跡を見ていると古代ローマ時代から長い間、アルルが貿易港として栄えていたことがわかります。
ところで観光地の案内所に行くと、かならず英語で話しかけられます。フランスではフランス語しか通じないという時代もありましたが、それは過去のものになったようです。 最近は観光客を誘致するために英語や他の外国語を使っています。フランス人にもサービス精神が出てきたのでしょう。


円形闘技場

地下回廊

アリスカン

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