留学生活 2017年9月

オランジュ、ニーム、ポン・ドュ・ガール
[2017/09/24]

ポン・ドュ・ガール 水道橋

英語がある程度使えたロンドン留学と違って、アヴィニョンのフランス語留学はスムーズにいきません。 2週間経っても目途がたたないので開き直って、学校の授業+家で2時間のフランス語の勉強以外、プロヴァンス観光をすることにしました。 最初に計画したのはプロヴァンスにある古代ローマ遺産巡り。ここに来て遊び癖が出てきたようです。
紀元前、プロヴァンス地方は、「ガリア・トランサルピナ」と呼ばれていました。 アウグストゥスの時代に「ガリア・ナルボネンシス」と改名され、帝政ローマ時代には平穏で、この地域でガロ・ローマン文化を形成しました。 オランジュ、アルル、ニームなどの遺跡はほとんどがガロ・ローマン時代の物、日本でいうと弥生時代にあたります。
先週はオランジェ、ニーム、ポン・ドュ・ガールを廻りました。オランジュはアヴィニョンの北にある、列車で約20分で行けるプロヴァンスの町。 この町には古代ローマ時代の「古代劇場(紀元前1世紀末)」とカエサルのガリア平定とアウグストゥスのアクティウムの開戦のレリーフが彫られている「凱旋門(紀元前23年頃)」があります。 「古代劇場」に行くとガラス屋根(エッフェル社製)がつけられていたり、ハンドボールのコートが設置されていたりしていたので少々、驚きました。 本でいうと吉野ケ里遺跡の中にバスケットボールを設置するようなもの。ここ、世界遺産ですよ。日本では考えられない不思議な光景でした。


オランジュ古代劇場

ニーム古代競技場

凱旋門


数日後、巨大な水道橋「ポン・ドュ・ガール(紀元前20年頃)」に行きました。実際に水道橋を目の前にすると「本当にこれが2000年前の遺跡」と驚きました。 「ポン・ドュ・ガール」は高さが50m、全長が275m。 驚くべきは勾配の技術、ユゼスからニームに水を運ぶために作られた全長が50キロある水路は、1キロごとに24センチの勾配がつけられているとのこと。 青い空、ガルドン川をまたぐ水道橋の姿は絶景でした。 この水路の終点が、メゾン・カレ、古代競技場(1世紀末)、古代集水場などのローマ遺跡があるニーム(ケルト語の泉の精霊ネマウスス)です。 私が訪れた日は「秋の収穫祭」で町中がお祭り騒ぎ、古代ローマ時代の闘技場で闘牛をやっていました。 私は生まれて初めて闘牛を観ました。 それを古代ローマ劇場で見ることができたのはラッキー。競技の中では馬に乗って牛を追いつめる馬術が凄かった。 牛と人間の格闘、牛を殺すにも美学があり、殺された牛が闘技場から運び出される時の拍手に感動します。
遺跡を廻って感じたことは、この地方では現代でも古代ローマ文化は生きているということです。 どの町の古代ローマ遺跡も現代のプロヴァンスの街並みや風景に似合っています。 このような空間に接していると、タイムトリップしたような、時間の観念が変わるような感じがします。 私が日本で想像していたプロヴァンスのイメージは、実際のものとは大きく異なっています。「百聞は一見に如かず」は本当ですね。


秋の収穫祭

マーニュ塔

ニームの町

フォンテーヌ公園

プロヴァンスダンス

闘牛

前期授業の開始
[2017/09/17]

9月11日(月)からアヴィニョン大学に付属しているSDLの授業が始まりました。クラス分けで振り分けられたクラスはA2、初中級クラスです。 このクラスの学生数は9人。東欧、中国、韓国、台湾からの留学生で、日本人は私以外にいません。 普通はフランスに留学する場合、語学学校に通って勉強をしてから留学するのですが、私の場合、慶應大学の週2回フランス語の授業と独学でアヴィニョンに来ました。 無謀と言えば無謀。 最初の1週間はフランス語の聞き取りや書類提出で予想以上に疲れ、毎日くたくたになりました。 労力がかかっている割には日常会話さえ心もとない。今は相手との会話の内容がちぐはぐです。 それでも会話をしているのだから恐ろしい。いろいろと落ち込む事が多いのですが、ホームステイ先のアタールさんが勇気を与えてくれます。 私にとってアタールさんはフランスのおばあちゃん。 ちなみに私はお喋りなので数カ月もすればスムーズな会話ができるようになるだろうと楽観しています。

それにしても、フランスの大学は書類の手続きがややこしい。 大学の事務局でいろいろな手続きをやらされるのですが、急に準備をしていない書類の提出を求められるので困っています。 前もって教えてくれれば準備するのに全く事前情報もなく、急に用意してと言われる。それでいまだに日本の留学センターと連絡を取って、書類の用意してもらっています。 こうなることは、ピーター・メイルの「プロヴァンスの12か月」を読んで予想してたつもりですが、まさかここまで酷いとは……。 こちらにいるとあらためて日本社会の几帳面さ、良さが実感できます。 パリやアヴィニョンでは先週、大きなマニフェスト(デモ)をやっていたし、変なところで異文化を体験をしています。 愚痴を言っても仕方ないので「郷に入らずんば郷に従え」。 皮肉ですが、フランスにいると、忍耐強い人間になれそうです(笑)。


アヴィニョン
[2017/09/10]

アヴィニョンに来て1週間が経ちました。 イギリスでも体験したのですが、手続きや学校が終わって、ふとした時間ができると、「ここはどこ」と考えてしまいます。 先週は毎日、散策をして町の地理を把握しました。 アヴィニョンは城壁に囲まれた街なので規模は大きくありませんが、中世・近世的な街なので古い石畳の道もあり複雑、日本の町とは全く様子が違います。 来週から私が通うアヴィニョン大学SDL(Service de Langue)は、大学に付属する語学学校です。 アヴィニョン大学はソルボンヌの創設に反対していたローマ教皇ボニファティウス8世がナポリ王シャルル2世と1303年に設立した古い大学で南フランスにおける教育の中心でした。 9月4日(月)に学校に行ってガイダンスを受けたのですが、こちらの学校は提出する書類が多くて困っています。当分、書類の翻訳で時間を費やしそうです。
1309年、ローマ法王クレメンス5世がアヴィニョンに移住した後、1377年までアヴィニョンは教皇庁の所在地(アヴィニョン捕囚)でした。 教皇領はフランス革命で没収されるまで維持されました。 ローヌ川にかかっているサン・ベネゼ橋は、「アヴィニョンの橋の上(Sur le Pont d’Avignon)」で歌われるモデルとなった橋。法王庁と共に2006年に世界遺産に登録されています。 私がアヴィニョンを留学先として選択した理由は、父が昔、アヴィニョンに留学していたからです。 親子で留学するのですから、私の家とアヴィニョンには深い関係がありそうです。 それが何か、これから探っていこうと考えています。


法王庁

レピュブリック通り

ローヌ川

サン・ベネゼ橋

フランスへ
[2017/09/03]

フランスに出発するまでの1週間、慌ただしい時間を過ごしました。 保険をかけ、航空券、学生ビザ、パスポートのチェック、クラシック音楽をウォークマンに入れ、フランスの文庫本など買いそろえました。 さすがに1週間前になると緊張感が増します。このような時、やっぱり頼りになるのは「地球の歩き方」。 フランス版や南仏版を見ながら最終的なフランスでの計画を確認しました。 今回は大都会のロンドンとは違う、地方都市アヴィニョンに滞在する予定です。 最後の2か月はパリに行くのですが、アヴィニョンにいる間にフランス語の勉強に精進しようと思います。
9月2日(土)の夕方、羽田空港からキャセイ・パシフィック航空の飛行機に乗り、香港経由で、9月3日(日)の朝、パリのシャルル・ドゴール空港に到着しました。 その後、ТGVに乗って、アヴィニョンへ到着したのは、その日の午後。 慣れている英語圏への入国とは違って、すべてがフランス語、話す速度が速いので苦労します。 アヴィニョンについてホームステイ先に着いた時には移動の疲れと時差ボケでくたくた。その日はベットで倒れ込むように眠りました。 起きたら、ここはアヴィニョン。これから6か月間、健康に注意しながら楽しい留学生活を送ろうと思います。


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