大学生活 2016年5月

華の慶早戦
[2016/05/29]

六大学野球もいよいよクライマックス、早慶戦の季節がやってきました。新入生にとっては、初の全校規模のビックイベントです。 早慶戦は三田際に並ぶ一大イベントであり、試合がある日の授業は応援のため、休講になります。 応援時の一体感は凄いもので私も「塾歌」や「若き血」を歌いながら「ああ、僕は塾生なんだな」と慶應生であることをしみじみと感じていました。
慶應では所謂「早慶戦」のことを「慶早戦」と呼びます。 これは、福澤先生が創刊した「時事新報」において1903年に行われた第1回試合を「慶應義塾対早稲田大学野球試合」と報じたことにちなんだもので、応援指導部などが中心となって塾生の団結を図るため「慶(應)早(稲田)」の表記を用いています。 因みに第1回の試合は、早稲田野球部が慶應に試合を申しこんだことで開催されました。これに明治大学を加えたものが現在の六大学野球へと発展していきます。
戦前の大学野球は、現在のプロ野球の巨人・阪神戦に相当するものでした。特に早慶戦の白熱ぶりは凄まじく、早稲田に買った慶應野球部が大隈邸門前に集まって万歳三唱をしたり、逆に、早稲田野球部が福澤邸の門前で万歳三唱したり、或は審判校に脅迫状が届いたり、その熱狂ぶりに緊迫する事態もしばしば起こりました。 ここ数年、そのような緊迫した事態は起きていませんが、「優勝すると毎年、酔って日比谷公園の噴水に登る塾生がいる」という話を聞いたことがあります。 去年に続き、今年も優勝はできませんでしたが、私の在学中に是非とも優勝を見たいものです。

写真:https://twitter.com/keisousen_shien/status/732404432797736960


パレットクラブ
[2016/05/22]

 2年次から新たにパレットクラブに入会しました。パレットクラブは19世紀末に設立された、慶應義塾で唯一の美術系サークルです。 サークルの新入生は1年生がほとんど、2年生入部はまれなようで私を含めて2人だけ。 2年から馴染むのが大変なサークルもありますが、パレットクラブはすぐに馴染めそうです。
子供の頃の私は絵を描くのが好きで、小学生の頃は家にいる大半の時間、絵を描いて過ごしました。 しかし、中学生時代はギターに興味を持ったので、ほとんど絵を描きませんでした。 大学生になると受験のストレスから解放されたので、再び絵を描きたくなり、活動の場をパレットクラブに求めたのです。 パレットクラブはアトリエを自由に使える他、グループ展や他大学との合同展覧会を行っています。
写真の絵は、先日行われたアクリル会で私が描いたアクリル画。小学生の絵みたいですいが、後輩には好評でした(笑)。 童心に帰るのが、絵を描く楽しみかもしれません。この絵は縄文時代の石棒に着想を得ています。荒野にそびえ立つファルス。 多産の象徴です。暫くこのテーマでいろいろな技法を試してみようと思います。

パレットクラブ アトリエ

6月にパレットクラブのグループ展に出品する予定です。お楽しみに。

写真:http://pbs.twimg.com/media/CcrAAZZW4AEmajN.jpg


忙しすぎる
[2016/05/15]

新入生にとって「5月病」の季節がやってきました。受験や入学の興奮から解放され、気が緩むことで心身ともに疲れやすくなります。気をつけましょう。
先週、私は多忙だったため、少々、過労気味です。学校の授業、合気道の練習の他、骨董講座の参加(14日)、合気道会の新歓コンパ(14日)、映画「あめつちの日」観賞(15日)、ディープ・パープルのコンサート(15日)、慶應大学美術「パレットクラブ」の新歓コンパ(16日)、「ピクサー展(東京都現代美術館)」観賞(17日)、合気道会の練習後、浅草で食事会(17日)……。
ブログを書く時間もなく、昨日(19日)は妹の家庭教師をやらなければならなかったのですが、いつの間にか、妹の横で熟睡していました。
そこで一句。

家に着き 意識があるのは 5分だけ これが世にいう 過労社会

今週は新歓コンパなど、いろいろな催しがあったので慶應義塾大学の先輩と話ができました。たくさんの人と話ができるのは楽しいですね。

写真:http://essay.tokyo/tsuchi/


大学の祝日返上は「監獄の誕生」か?
[2016/05/08]

新年度が始まって1ヵ月、ゴールデンウィークがやって来ました。 せっかく学校に慣れてきたのに、この時期に生活リズムが崩れ、「五月病」になってしまう学生は多いのではないでしょうか。 毎年、ゴールデンウィークを過ぎると授業に出なくなる学生が増えます。「小人閑居して不善をなす」とはよくいったものです。
ところで先日、立教大学に通う私の友人が「祝日返上で授業がある」と不満をもらしていました。 これは、文部科学省中央教育審議会が平成20年に、「学士課程教育の構築に向けて」で大学学部は半期15回授業を行わなければならないと定めたことに起因します。 授業回数を確保するため、多くの私大では祝日や学園祭期間、長期休暇を削って授業が行われるようです。幸いなことに、慶應ではゴールデンウィーク中は休講。 「独立自尊」を校是とするわが校では、文科省の云うことなど、どこ吹く風です(笑)。
インターネットで検索してみると、授業回数の回数増加に関して、教授陣から疑問の声が多く上がっています。 ある教授は「15回や12回といった時間の問題ではない」と漏らしていました。「ハッピーマンデーで月曜ばかり休日になって困るのに……」という皮肉めいた批判もあります。 「脱ゆとり」の一環なのかもしれませんが、私は大学の「中学校・高校化」が進んでいるように感じられます。

パノプティコン(一望監視装置)

フランスの社会学者ミッシェル・フーコーは「監獄の誕生」で、学校教育は社会に適合するよう人間を矯正する「監獄」であると指摘しました。 教員から常に監視、指導され続けることで、「毎日学校へ行く」「宿題を出す」「目上の人は敬う」といった社会的規範が個人に内在化され、高校を卒業するころには、生徒は社会に従順な「優等生」になるわけです。 一方、大学は、これらの教育機関と対称的な性格です。英語の”university”の語源はラテン語で組合を意味する”universitas”、大学の起源は12世紀にできた学生による共同組合です。小中学校と異なり、大学は生来、学問の自由と権利を守る組織でした。
授業回数厳格化や出席重視、GPAの導入、学生による授業評価の導入など、大学改革によって学生や教授への「監視」の目が強まっています。 教授や学生が自由に学問をやる場所であった大学が、中学校、高校のようになりつつあります。 知的エリートの集まりであった大学は「大学総入学」によって「監獄」に変わろうとしているのではないでしょうか。
ところで、慶應義塾は「独立自尊」の旗の下、その学問の自由を守り続けて来ました。 授業日数を無理に増やそうとしない所をみると、現代の教授陣にも「独立自尊」或はuniversitasの精神が受け継がれていると感じます。 大学が監獄化しようとしている今日にあってなお、大学の使命を忘れない塾の姿勢を塾生として誇りに思います。

あ、勿論、慶應でもちゃんと授業は半期15回、行われています。ハッピーマンデーを削って(笑)

(親からの反論 「高い学費を取る大学は、もっと授業の数をふやせ!」)

写真:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Presidio-modelo2.JPG
http://gakuji2.adst.keio.ac.jp/kizai/mitakyoushitsudb/519.html


会食
[2016/05/01]
先日、合氣道会同期のKさんと超能力者のAさんと食事をしました。
Aさんは超常現象、精神世界(スピリチュアル)、パワースポットや超能力研究の第一人者。 1970年代、「スプーン曲げ少年」として名を馳せ、最近まで「たけしのテレビタックル」に出演し大槻教授(早稲田大学)との超常現象をめぐるバトルを繰り広げていました。 現在は精神世界の研究をする一方、企業コンサルタントとして活動しています。
当初、Aさんと初対面のKさんは少々困惑気味。私も親位の世代人と初めて話すときは緊張します……。 ですが、ディープな大人との懇談は意外性があって面白かったそうです。大学生は、サークルとバイトと交友範囲がせまく、プライベートな人間関係をなかなか築けません。 同じ世代の友達と付き合うのは簡単ですが、均質的な人間関係の中にあると、どうしても視野が狭くなってしまいます。 頭が柔らかい大学生時代に、Aさんのように人生経験が豊富な専門家と話をすると、有意義な時間を過ごせます。
正直なところ、1年生の頃は自分がなにをして生きて行けばいいのかわかりませんでした。 私のように、大学受験を終えて目標を失ってしまう大学生は多いのではないでしょうか。 そんな時、人生の先輩である大人と話していると、自分がどのように生きていくべきか、問題点や長所が見えてきます。 人生の転換期である大学時代こそ、両親や多くの大人とコミュニケーションを取る必要があるのではないでしょうか。


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