19日にBSプレミアムで放送された「決戦!関ケ原 空からスクープ 幻の巨大山城」を見ました。内容は、空から関ケ原周辺の航空レーザーで地形を計測し、それを数値化して赤色立体地図化した地形から「関ケ原の戦い」を再考するというものです。今回の測量で、関ケ原の西にあった巨大な山城「玉城」の存在と小早川軍の布陣状況など様々な新発見があり、それがこれまで考えられていた「関ケ原の戦い」の通説を覆す資料となります。面白かったのは、戦国時代の研究の第一人者とされている小和田哲夫氏と城郭考古学者の千田 嘉博氏の意見の対立。文献学中心の小和田氏の意見は、先端技術を使った新発見の前では旗色が悪い。科学的な根拠が乏しい意見に文献学者の限界が表れていました。後世の人たちが人為的に書いた文献研究も先端技術を使った研究の前ではひとたまりもありません。見ていて久々に興奮を憶える番組でした。
ところで、これまで私はなぜ石田三成が佐和山城に逃げ帰れたのか、なぜ島津軍は戦場で戦わなかったのか理解できませんでした。それが今回、理解できた気がします。三成は「玉城」で指揮をしていたからこそ、東軍の追手から逃れることができた、また、戦いに参戦しない三成を見て島津軍はやる気をそがれたのでしょう。関ケ原の戦いが1日で終わったのは、軍勢の実態が東軍15万、西軍3万だった。それを考慮に入れると、関ケ原の戦いは意外とあっけなく終わったと考えられます。実際の戦闘が始まったのは小早川軍が動き出してからでしょう。先端技術を使った分析で、これからも新しい歴史的な発見がありそうです。
写真:http://sengokudama.jugem.jp/?eid=6151
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=26648