今年、都倉ゼミで、1968年の学生運動の研究をするので、「日本の夜と霧」(大島渚監督、1960年)を観ました。「日本の夜と霧」は日米安全保障条約に反対する安保闘争をテーマにした作品で、公開からわずか4日後、上映が打ち切られた曰く付きの作品です。
内容は60年安保闘争中、新聞記者の野沢晴明と女子学生の原田玲子の結婚式が行なわれ、その中で登場人物が、安保闘争に関する思想の話をするという討論劇です。
学生運動はマクロな視点で語られる場合が多いのですが、登場人物がそれぞれ違った意見や価値観を持って運動に参加していたことが描かれていて面白かったですね。
1968年の暴力的な全共闘の学生運動と違って、1960年の学生は真面目に思想を持って学生運動に取り組んでいたことがわかります。
しかし、映画に挿入された「民衆のための変革思想」、「国家の暴力に抗する人民のための闘い」は、イデオロギーのない日本人の言葉としては実感がわきません。
一体、日本のどこに民衆がいるのか。理想ばかりを追い求めるリアリティの無い学生の言い分は稚拙です。

「アメリカン・グラフィティ」(ジョージ・ルーカス監督、1973年)は、1960年頃のアメリカの田舎町の若者を描いた青春映画です。
この映画の大ヒットによって、ジョージ・ルーカス監督の名が知られるようになりました。内容は、夏休みの高校生たちのワンナイトを描いたもの。
まだ無名だった若き日のハリソン・フォードが出ています。本当に若い。映画の中では60年代のロックンロール・ミュージックやヒット曲が流れ、時代の雰囲気を盛り上げています。
アメリカがベトナム戦争の泥沼に巻き込まれる前時代を描いた呑気な映画です。映画の最後にベトナム戦争で亡くなった登場人物のエピソードが出て来る場面がちょっと切ない。
「日本の夜と霧」も「アメリカン・グラフィティ」も1960年頃を題材にしていますが主題や作風が違うので、これが本当に同時代の出来事なのかと錯覚します。日本とアメリカの学生の違いが描かれていて面白かったですね。
写真:https://twitter.com/menghu_nankuru/status/786182926496960513
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