読書・映像鑑賞 2016年5月 |
カール・マルクス「資本論」
[2016/05/29]
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「資本論」 マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に引き続き、今週はカール・マルクス「資本論」を紹介します。カール・マルクス(1818年〜1883年)はドイツ(プロイセン)の社会学者、イギリスを活動拠点にし、資本主義に対する社会主義を打ち立てました。「資本論」は言わずと知れたマルクスの代表作、協力者のエンゲルスとの共著ですが、第1部をマルクスが書き、マルクスの死後、エンゲルスが残りをマルクスの思想をもとに書き上げました。 「資本論」はマルクス経済学の枠組みで語られるこのですが、社会学にとっても「階級」という概念を生み出した古典です。「労働者」や「資本家」という社会集団の概念が生まれた近代産業以後、社会学が成立します。「階級」という社会集団の概念を提示したマルクス「資本論」は最も早い段階で社会学の分野に言及した書物と言えるでしょう。 マルクスを論じるうえで欠かせないのが「唯物論」です。社会は下部構造と上部構造によって成り立っているという考え方で、と経済などが実利的な活動(下部構造)があって初めて政治や思想など理論的な活動(上部構造)が成立するというものです。マルクスはこの唯物論を基に、社会を労働者と資本家による階級闘争の結果が政治体制の変革をもたらしてきたと説きました。 マルクスの理論は理論的に非常に完成度が高く、かつて多くの学生が虜になったのもうなずけます。特に製品の価値は労働者の労賃によって決まるという「労働価値説」の件は納得のいくものでした。しかし、労働者階級が資本を持たない無産階級であるという見方や、資本を持つ資本家の労働(経営という知的労働)に触れられていないことなど、マルクスの社会分析には大きな欠陥が見られます。現実には労働者も資本を有し、それを消費します。アメリカ、フォード社がT型フォードを買えるよう社員の給料を引き上げた話は有名ですが、マルクスのいうように労働者が再生産を行う分の給料のみをもらえない無産階級ならば、このようなことは起きないはずです。もっとも、マルクスが「資本論」を書いたのは19世紀、資本主義自体も未発達なので、分析に欠陥があるのは仕方のないことですが、その後約100年間、その点がマルクス主義者によって考察されてこなかったのは不思議な感じがします。神のように崇拝すると批判もできないのですね。理論が先行し現実を見失えば、それはもはや机上の空論でしかありません。理論を基に社会を説明するのでなく、今ある社会をどう説明するか、唯物論的な手法が必要なのです。 写真:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/513SNRFW82L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg |
マックス・ウェーバー 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
[2016/05/22]
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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
このプロテスタンティズムの倫理は、時がたつに連れてその宗教性が形骸化し、資本の増加そのものを目的とする「資本主義」へと変容していったとウェーバーは結論づけています。ウェーバーは「プロ倫」の中で「ピューリタンは目的があっって働いたが、我々は労働せざるを得ない」と、宗教的倫理が形骸化し、労働を余儀なくされる資本主義社会を嘆いています。
写真:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/513SNRFW82L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg |
川瀬美香監督 「あめつちの日々」
[2016/05/15]
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![]() ![]() 以前このブログで紹介した陶工松田米司さんのドキュメンタリー映画「あめつちの日々」がイメージフォーラム(渋谷)で公開されていたので見てきました。 「あめつちの日々」は監督の川瀬美香さんが沖縄県読谷山村北窯を3年間にわたって取材し、米司さんら北窯の活動を描いた作品です。 土づくり、作陶、色付け、窯への火入れといった工房での生活に加え、研究や土探しのために日本民芸館やベトナムの工房を訪れる親方の姿が描かれていました。 映画の中で特に印象に残っているのは「自分の名前は残したくない」「弟子の作品が雑貨にならなか心配」という親方のセリフです。 ブランドでも雑貨でもない、日常生活で使われ続ける「民藝品」を作ることが親方の目指すところのような気がします。 ![]()
ところで、映画を見た5月15日は奇しくも1972年に沖縄が本土復帰を果たした日でした。
地上戦が行われ米軍の統治下に置かれた沖縄には、本土復帰後も多くの米軍施設が置かれ、現在でも普天間基地移設問題など基地返還運動が続いています。
1990年に開かれた北窯も基地返還運動と無縁ではありません。
北窯のある読谷山村は米軍の上陸地点であり、戦後その土地のほとんどが米軍によって接収されました。
1980年代、読谷山村では基地返還運動の一つとして「文化村」を作る構想が上がります。
長期にわたる占領によって疲弊した村を読谷焼など文化の力によって復興しようという運動です。
読谷山村では文化村の用地を米軍施設に求めることで、基地の面積縮小していきました。
写真:http://www.sakura-zaka.com/movie/img/1606/1606_tsuchi.jpg |
ジャン・ボードリヤール 「消費社会の神話と構造」
[2016/05/08]
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「消費社会の神話と構造」
ゴールデンウィークを利用して、フランスの哲学、社会学者ジャン・ボードリヤール(1929〜2007)の著作「消費社会の神話と構造」を読みました。
「消費社会の神話と構造」ではボードリヤールは現代における「消費」とは何かを考察しています。 「消費社会の神話と構造」を読んでいると、アンディ・ウォーホルが思い浮かびます。シルクスクリーンによって大量に生産される「キャンベルスープ缶」や「マリリンモンロー」は、微妙な差異が付与されたコピー品が大量に消費される消費社会の構造を象徴しています。 ボードリヤールはウォーホルに言及した本を出しているので、機会があれば読んでみようと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]()
写真:http://image.search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RCL6zPYDlYHioAUCCU3uV7?p=%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%A7%8B%E9%80%A0&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D1%26st%3D0 |
ミヒャエル・エンデ、ヨーゼフ・ボイス 「芸術と政治をめぐる対話」
[2016/05/01] |
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「芸術と政治をめぐる対談」
ミヒャエル・エンデ、ヨーゼフ・ボイス 「芸術と政治をめぐる対談」を読みました。
ミヒャエル・エンデは「モモ」「はてしない旅」などを書いたドイツのファンタジー作家。
ヨーゼフ・ボイスは「緑の党」結党や「7000本の樫の木」プロジェクトなど、芸術と社会運動を結びつけた「社会彫刻」の概念を提示したドイツの芸術家です。 7000本の樫の木
写真:http://www.natsume-books.com/img_item/22882.jpg |