美術・音楽 2016年12月

2016年 展覧会ベスト3
[2016/12/25]


     キセイノセイキ(東京都現代美術館)              クリスチャン・ボルタンスキー展(庭園美術館)        小田野直武展(サントリー美術館)

今年もよく遊びました

今年はたくさんの展覧会、コンサートに足繁く通いました。3月から12月末までに行った展覧会数は22、コンサートは6つ、演劇は3つでした。 これをみると自分でもよく遊んでいるなと感じます。 その中で私が選んだ2016年の展覧会ベスト3は「キセイノセイキ(東京都現代美術館)」、「クリスチャン・ボルタンスキー展(庭園美術館)」、「小田野直武展(サントリー美術館)」です。新聞では「三宅一生展(新国立美術館)」などの評価が高かったのですが、自分が選んだベスト3は地味な展覧会。 中でも「キセイノセイキ」は会場の観客もまばらで、ゆっくりと社会学的な作品を楽しむことができました。このような展覧会をベスト3に入れるのですから、学生はマニアックですね。コンサートで印象に残ったのはフリップ・グラスとパティ・スミスのコンサート「HE POET SPEАKS アレンギンズバーグへのオマージュ」。 今年、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのですが、受賞会場でパティ・スミスが受賞を祝う曲を披露したのは印象的でした。来年はイギリス、フランスに行くので、そこで展覧会、コンサートに行こうと思っています。


世界に挑んだ7年間 「小田野直武と秋田蘭画展」
[2016/12/18]

2016年11月16日~2017年1月9日
サントリー美術館

サントリー美術館の「小田野直武」展に行きました。小田野直武は「解体新書」の挿絵を描いたことで有名な画家、秋田蘭画を代表する人物です。 江戸時代中期、享保の改革によって洋書の輸入が緩和されると、西洋から医学書や博物学書、科学書、などの書物が輸入されます。 書物を通して、西洋知識が日本に入り、日本国内で博物学(本草学)や医学(蘭学)が盛んになります。 この流れは、日本画にも影響を与え、西洋の光学に基づいた陰影法や遠近法が特徴的な秋田蘭画が生まれます。 展覧会では、小田野直武をはじめ、藩主の佐竹曙山や佐竹義躬などの秋田蘭画を代表する画家の絵のほか、秋田蘭画の基礎となった狩野派の絵や影響を与えた西洋の技法書や銅版画、図鑑が展示されていました。
小田野直武の秋田蘭画は水墨画や狩野派のような構図に、西洋的な陰影法や遠近法が取り入れられています。 日本画は西洋画に比べ平面的に見えますが、構図や描き方によって迫力や立体感を持たせています。 そのため、西洋の遠近法を加えると、立体感や奥行き、迫力が強調されて、空間が歪んで見えます。 江戸時代にこのような西洋風の絵を日本人が描いていたとは驚きです。 小田野は30歳の若さで急逝しますが、彼が長生きしていたら日本の西洋画も大きく変わっていたかもしれません。 個人的には、西洋と東洋の雰囲気が混ざり合った蘭画はシュールなので気に入っています。

写真:http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/display.html


公共事業としての美術
[2016/12/11]

ここ数年、トリエンナーレ、ビエンナーレなどの美術展覧会が「町おこし」のために利用される機会が増えています。「瀬戸内国際芸術祭」など、著名な芸術家の作品を集めた芸術祭もありますが、名古屋トリエンナーレなど、他のトリエンナーレは名前の知られていない作家の作品が多いのが特徴で、公共事業的な印象を受けます。近代にはいると、美術は作家ひとりが作品を作るイメージがありますが、それ以前、芸術家は「工房」単位で活動していました。作者の名前が出ている作品でも、下塗りなどの作業は工房の弟子が行い、全体の統括や構図、デザイン、仕上げなどを作家が行っていました。映画製作の現場で、演技やセリフはシナリオライターや演技指導が考え、監督が良し悪しを決めるのと同じ感じです。工房のバックには教会、王侯貴族、豪商がおり、パトロンとなって芸術家を支えました。自由、平等、友愛を掲げたフランス革命を機に、市民の概念が形成され、近代に入ると、美術の世界でも市民化が進みます。19世紀には、それまで王侯貴族に代わって、エコール・デ・ボザールに代表されるアカデミーが権威となり、芸術家を養成、美術活動の母体となり、サロンが芸術家の作品発表の場となります。マネら印象派の画家も最初はサロンでの入選を目指して活動していました。しかし、モネ、マネ、ルノワール、セザンヌらが作家自らの力で印象派展を開いたことで、芸術の主導権は作家個人に移ります。以後100年にわたって、芸術家が個人で営業、制作を行う個人主義の時代が続きました。
こうした個人主義的な芸術とは対照的に、現在では集団的な芸術が主流になりつつあるように思えます。近年、盛んに行われるアートフェスタは、国、自治体、企業が主催し、それに芸術家が作品を出品する形をとっており、パトロン制度を取っていた近代を彷彿とさせます。また、今年、4月に「五百羅漢展」を開催した村上隆は、カイカイキキという企業を運営し、中世の工房のように人を使って作品を制作しています。インターネットの登場は個人の力を強めたように思われがちですが、SNSを通して、相互に干渉、監視することで、現代社会は村社会化しています。芸術の世界もこうした流れを受け、近代的な個人主義から中世のような集団主義へと移行しつつあるのではないか。極端にいえば、助成金をもらいながら農協がやっていた米作りが、現在は助成金をもらいながら美術家がやっているというわけです。コメ(案山子)からアートへ、個人表現の時代は去ったのでしょうか……。

写真:http://www.city.saitama.jp/006/014/008/003/005/003/p043276_d/img/001.jpg
http://aichitriennale.jp/news/item/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2016_%E8%A1%A81.jpg
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「ダリ展」
[2016/12/04]

2016年9月14日~2017年12月12日
国立新美術館

乃木坂の国立新美術館に「ダリ展」に行きました。 展示は若い頃の絵画、キュビズム時代、シュールレアリスム、戦後(原爆をテーマにした絵画)というように時代を追って構成されています。 絵画作品の他、ダリが手掛けたレシピ集「ガラの晩餐」や物語の挿絵、水彩画なども展示されていました。土曜日の3時過ぎに行ったのですが、1時間待ち。 凄い人気です。今回の展覧会では、20代くらいの若い来場者、とくに男女2人連れのカップルが多いという印象を受けました。 展覧会に来る若者は美大生か美術好きのどちらかで、美術館に行く若者は少数派というイメージがあっただけに意外。 各地でトリエンナーレが盛んに開催されるなど、最近、美術ブームですが、ダリ展も人気のデートスポットになったようです。
ところで、ダリは晩年、芸術家を採点し、フェルメール、ラファエロ、ベラスケスなど写実的な画家を高く評価する一方、抽象的なモンドリアンに最低評価を与えています。 古典的手法を好むダリからすれば、型破りなモンドリアンの抽象的な作品は異質に見えたのでしょう。ダリは美術に型を求めていたような気がします。 型通りの作品は、裏を返せばわかりやすいということですが、このわかりやすさが人気の原因でしょう(近代人は皆、自分には内面性があると信じていますから……)。 アニメや映画でも、ドラマチックな展開や勧善懲悪など、大衆は典型的でわかりやすいものを好みます。音楽でいうと飾り立てたオペラといったところでしょうか。 そればかりに気を取られると、トランプ大統領を選択した現在のアメリカ人になってしまいます。やっぱり、私はダリよりもピカソかな~。

写真:http://../image.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/05/ah_dari1.jpg
http://salvador-dali.jp/


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