美術・音楽 2016年9月 |
私は何のために表現するのか
[2016/09/25]
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絵を描いたり、文章を書いたり、表現するのは楽しい。
しかし、他人の目に触れる以上、表現に他者への配慮は必要不可欠です。 私は爆発しそうな感情を、文章や絵にして精神的バランスをとっています。文章を書き終えると、すっきりして、すがすがしいハッピーな気分になります。エネルギーの貯蔵と発散の繰り返しが、生きることなのでしょうか。いずれにせよ、エネルギーの十分な貯蓄がなければ、創作もできません。しっかり、ご飯を食べよう。 |
現代美術に思うこと
[2016/09/18]
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今年、パレットクラブに入り、作品を作るようにもなり、美術について考える機会が増えたのですが、最近、美術に関して思うことがいくつかあります。 特に、現在の現代美術作品にいえることですが、端的に言って雑貨みたいな作品が多い気がします。 別の云い方をすると、芸術作品にある、存在感、重さみたいなものが希薄だということです。
現代美術の作品に限らず、ものには存在感があり、空間や鑑賞者に働きかけています。
僕の部屋にはアフリカ彫刻がありますが、アフリカ彫刻が一つあるだけでも、場の雰囲気が変わります。
場の雰囲気だけではなく、それを見た人にも影響を与えており、美術品に触れると、頭が活性化されます。
美術館に行ってモノを見ると大変疲れますが、これは、そうした物の持つ存在感と向き合わなければならないために生じる疲労です。
雑貨との触れ合いにはこうした存在感がありません。雑貨は個人のテリトリーの中で扱われるもので、使った人や見た人の創造や理解を超えることもありません。
「自分らしさ」という言葉が一時期流行りましたが、まさに雑貨は自分の世界に浸るための道具なのです。 先日、ニュースで結婚したい若者の割合が激減したと報じられていました(明治安田生命生活福祉研究所の結婚願望の調査で「できるだけはやく結婚したい」「いずれ結婚したい」と答えた人の割合は、男子で3年前の67.1%から38.7%、女子で82%から59%に下落した) が、これは現代の若者が異質な異性の存在を避け、自分の世界の範疇で行動しようとする傾向にあることを示す例です。 美術作品と若者の結婚観を比較するのは極端かもしれませんが、このような類例を考察すると現代社会の一面を垣間見ることができます。 グローバル化が芸術を雑貨に変質させているのでしょうか。 私は異質な存在、美術や非日常的な旅行が好きなので、他者と生きる結婚を楽しみにしています(と、言っても、いまだに彼女はいないので、これから相手を探さなければなりません……)。 |
絵画、彫刻という概念について
[2016/09/11]
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「ポンピドゥー・センター傑作展」
四美展で知り合ったU君と上野「ポンピドゥーセンター展」に行きました。1周目は時間を決めて各々見て回り、2周目は二人で話をしながら見て回ります。
ポンピドゥーセンター展は1年1作品1作家で年代順に作品が展示されているので、2周すると近・現代美術の変遷を感じることができます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 写真:http://www.pompi.jp/ |
輸出マッチ
[2016/09/04]
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9月2日まで、東京三田倶楽部に飾ってあった「輸出マッチ」です。これは6月の慶美展に出品した作品の再製作で、額装してあります。 |