美術・音楽 2016年9月

私は何のために表現するのか
[2016/09/25]

絵を描いたり、文章を書いたり、表現するのは楽しい。 しかし、他人の目に触れる以上、表現に他者への配慮は必要不可欠です。
好き放題して、他人を不快にするような絵や文章は描けません。普段はしませんが、たまに、好き放題やってみたくなる時があります。 これをやったらまずいとわかっていても、どうしても言いたくなる、書きたくなる、描きたくなる。誰もそんな不快なものは見たくないでしょう。 分かっています。分かっていますが、どうしても、こみ上げる感情が抑えられなくなる。特に怒りといいますか、憤りのような感情がこみ上げて来たとき、そういうことが起きます。 小・中学生の時は、癇癪を起しまして発散していました。今は癇癪の代わりに、こうして文章を書いています。 ブログや論文の文章は、爆発的な感情に乗せて、勢いで書いている側面があります。 父によく、私の文章は、攻撃的だと指摘されるのはこのせいかもしれません。文章を書いてストレスを発散しています。 ただ、それでもやはり文章にする以上、人の目を気にするので、僕はこのように論文調で、自分の理論を述べる体裁をとって他人が見ても不快にならないようカモフラージュしています。
小説家や美術作家など表現者は、自分の感情をコントロールするために創作している人が多い。 夏目漱石は英国留学後、鬱病にかけ、ストレスを発散するために「吾輩は猫である」を書き上げました。 現代美術作家の草間彌生も「作品を作らなければ自殺しそう」と衝動を抑えるために絵を描いているようです。

私は爆発しそうな感情を、文章や絵にして精神的バランスをとっています。文章を書き終えると、すっきりして、すがすがしいハッピーな気分になります。エネルギーの貯蔵と発散の繰り返しが、生きることなのでしょうか。いずれにせよ、エネルギーの十分な貯蓄がなければ、創作もできません。しっかり、ご飯を食べよう。


現代美術に思うこと
[2016/09/18]

今年、パレットクラブに入り、作品を作るようにもなり、美術について考える機会が増えたのですが、最近、美術に関して思うことがいくつかあります。 特に、現在の現代美術作品にいえることですが、端的に言って雑貨みたいな作品が多い気がします。 別の云い方をすると、芸術作品にある、存在感、重さみたいなものが希薄だということです。

現代美術の作品に限らず、ものには存在感があり、空間や鑑賞者に働きかけています。 僕の部屋にはアフリカ彫刻がありますが、アフリカ彫刻が一つあるだけでも、場の雰囲気が変わります。 場の雰囲気だけではなく、それを見た人にも影響を与えており、美術品に触れると、頭が活性化されます。 美術館に行ってモノを見ると大変疲れますが、これは、そうした物の持つ存在感と向き合わなければならないために生じる疲労です。 雑貨との触れ合いにはこうした存在感がありません。雑貨は個人のテリトリーの中で扱われるもので、使った人や見た人の創造や理解を超えることもありません。 「自分らしさ」という言葉が一時期流行りましたが、まさに雑貨は自分の世界に浸るための道具なのです。
美術品は雑貨とは違います。個人のテリトリーの外にあるものなので、外部にあることによって、異質な存在となり、存在に向き合った時に緊張感が生まれます。 存在感の無い雑貨的な作品が蔓延していることは、おそらく、個人のテリトリーの中で物事を完結させようとする人が多くなった現代社会の帰結ではないでしょうか。

先日、ニュースで結婚したい若者の割合が激減したと報じられていました(明治安田生命生活福祉研究所の結婚願望の調査で「できるだけはやく結婚したい」「いずれ結婚したい」と答えた人の割合は、男子で3年前の67.1%から38.7%、女子で82%から59%に下落した) が、これは現代の若者が異質な異性の存在を避け、自分の世界の範疇で行動しようとする傾向にあることを示す例です。 美術作品と若者の結婚観を比較するのは極端かもしれませんが、このような類例を考察すると現代社会の一面を垣間見ることができます。 グローバル化が芸術を雑貨に変質させているのでしょうか。

私は異質な存在、美術や非日常的な旅行が好きなので、他者と生きる結婚を楽しみにしています(と、言っても、いまだに彼女はいないので、これから相手を探さなければなりません……)。


絵画、彫刻という概念について
[2016/09/11]

「ポンピドゥー・センター傑作展」
2016年6月11日~9月22日
東京都美術館

四美展で知り合ったU君と上野「ポンピドゥーセンター展」に行きました。1周目は時間を決めて各々見て回り、2周目は二人で話をしながら見て回ります。 ポンピドゥーセンター展は1年1作品1作家で年代順に作品が展示されているので、2周すると近・現代美術の変遷を感じることができます。
レディ・メイドの手法を発明し、芸術に革命を起こしたマルセル・デュシャン以降、現代美術はより多様化していきます。 殊に終戦による安定と世界的な成長期を迎えた1960年以降、現代美術の多様性は爆発的に増しました。
アルマン「ホーム・スィート・ホーム」、クリストの「パッケージ」など、その作品は絵画や彫刻の概念を超えおり、簡単には理解できません。 2周目でデュフィの「旗のある通り」に戻ってくるとまだ美術が絵画だった時代があったことを発見できます。
「わあ、絵だ!」。勿論、20世紀前半の作品も、革新的で軽やかさや明るさなどの魅力があり、今見ても印象的で面白く、欲しくなるものばかりです。
普通の大学に通っていると、観念的になりがち。現代美術は硬くなった頭を柔らかくしてくれます。
そうだ、今度は絵や彫刻の概念を超越したような作品をつくろう!

写真:http://www.pompi.jp/


輸出マッチ
[2016/09/04]

9月2日まで、東京三田倶楽部に飾ってあった「輸出マッチ」です。これは6月の慶美展に出品した作品の再製作で、額装してあります。
慶美展では、マッチ箱を壁に直に貼り付けていました。 そのため剥がれ落ちて、マッチ箱が画廊の床に散乱したのですが、これがインパクトを与えたようで、搬入の時も話題に上がっていました。 怪我の功名とは、まさにこのことですね。 額に入れるとマッチ箱も趣が出てきます。
輸出マッチは、世界の問題を取り上げてマッチラベルにしたものですが、現在も世界は問題だらけ。 この先、ずっと問題の輸出マッチシリーズが作れそうですが、反対に楽しいラベルも作れます。 今週、カープが優勝したら、記念に「カープ神ってるマッチシリーズ」を作ろう!


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